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医師になるための通過儀礼ともいえる解剖実習

「医学部」と聞くと、「解剖実習」を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。

しかし、多くの人がイメージする解剖実習と実際の解剖実習は少し違う点がある。今回は、解剖実習について、私自身が解剖実習を通して感じたことをふまえて知ってもらいたい。

解剖学とは

解剖学とは、身体の形状や構造を知るための学問だ。

医学部の場合はヒトを用いた「人体解剖学」のことを言い、肉眼解剖学(マクロ解剖学)と呼ばれることもある。また、医学部で行われる解剖は、「法医解剖」や「病理解剖」と比較して、「正常解剖」というものである。

肉眼解剖学に対して、人体の構造を、顕微鏡レベルで観察し、身体の各組織の構造がどのような細胞でできているのか、またその特徴などについて学んでいくのが「ミクロ解剖学」と呼ばれるもので、これもマクロ解剖学とほぼ同時期に行われる。

今回はするのは、マクロ解剖学の話である。

解剖実習が行われる時期

各大学によって解剖実習が行われる時期は少しずつ異なるが、私の通う大学の場合、2年生の前期である。大体1年生〜2年生の間に行われる。

人体の構造を座学の授業のと並行して解剖実習を行うため、あまりよくわからないまま解剖実習が始まり、解剖を進めながら、となりに置いてある教科書を頼りに理解していくということが多い。

解剖学実習自体が精神的、体力的にハードであるのに加え、人体の構造は本当に覚えることが膨大にある。そのため、この2年生という時期を医学生で一番大変だった時期としてあげる人も多い。

解剖実習の意義、目的

解剖学実習では、すべての臓器や部位をひとつひとつ丁寧に観察していく。臓器、血管、神経、骨などその全てに至る。

解剖学実習と座学を通して、私たちは人体の構造を始めて理解する。やはり、立体的な構造を座学で学んでいてもあまりよくわからず、実際に見て初めて理解したり気が付いたりすることも多い。

そして、そこでの基礎的な知識を土台として、その後3〜4年生にかけて臨床医学を学んでいくことになる。

最後に、解剖を通じて生命の尊厳や敬意など医療人として必要な倫理観を養成していくことも解剖学の重要な役割だ。

解剖実習は,“ある一人の人間の身体をこわすこと”という取り返しのつかない行為によって成り立っている。

学生たちはこのことを念頭に置きながら,また、「将来の医療を担ってほしい」という期待をもってご遺体を提供してくださった方への感謝と責任をもって、医師という道へと進んでいくのだ。

世間が想像する解剖実習と実際との違い

正常解剖で使用されるご遺体は,保存処理が施されている。血管から全身にホルマリンを注入して,身体のタンパク質を固めてある。こうすることで,ご遺体が腐敗しないようにする。

しかし,ホルマリンで固めたままでは,解剖をする学生が大変だ。そこで,ホルマリンを追い出すために,アルコール液に長時間ご遺体を入れてく。解剖実習では,こうしてアルコールがしみ通ったご遺体が使用される。

そのため、解剖と聞くと、血が流れ出るような想像をする方も多いと思うが、実際の解剖では血液を見ることは一切ない

解剖体慰霊祭と遺骨返還式

解剖実習に捧げられたご遺体は,火葬される。

そして,ご遺族,先生,学生が参列して解剖体慰霊祭と遺骨返還式が執り行われる。この式の中で,遺骨は全てご遺族の手元へと返される。

このとき始めて、自分が解剖させていただいていた方のお名前を知り、ご遺族と面会し、直接感謝を伝えることになる。

私が解剖実習を終えて感じたこと

私自身、医学部に入る前や解剖実習を始める前は、自分が解剖実習ができるのだろうかと不安に思っていた。

いざ実習が始まった。実習で一番緊張したのは、ご遺体と最初に対面したとき、自分たちでご遺体に被さっている布を取って、メスを初めて入れていく瞬間だ。

始まってしまえば、ご遺体を提供してくださった方は、私たちの学びのために提供してくださったのだから、1ミリも無駄にせずに学びたいという気持ちで、あとはマニュアルに従って黙々と解剖をしていった。

ご遺体に対する感謝や敬意を忘れたことはなかったが、週に3回、毎回4〜5時間解剖を行っていれば、ご遺体を目の前にし、メスを入れていくという状況には慣れていった。あの解剖室にいたほぼ全員がそうだっただろう。

ご遺体を前にして、躊躇ばかりしていても、限られた時間の中で全てを解剖し学ぶことができない。

解剖実習は、自分の想像する以上に作業自体が大変で、細かい血管や神経を傷つけないように剖出する作業は目から涙がでるくらいの集中力と手先の器用さが必要でもあり、大きな骨を切断するときには力が必要だった。

解剖実習を終えて、私が思ったことは、まだほとんど何も知らないこんな学生の学びのために、ご遺体を提供して下さった方への責任が自分にはあるということ。

将来の医療のために、犠牲を払ってくれる方がいるということを決して忘れずに、将来の医師としての自分に向けられた期待に応えることができるよう、感謝と責任を持って、今後も学ぶことを続けて生きたいと思う。

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